冬至 〜願いを叶える身体の作り方〜

今日は冬至

冬至って実は翌年の流れを作るとても大切な日

私が思う日本の素晴らしいと感じることの1つは、こういった風習や式典(終業式や始業式もそう)といった心を締めくくる、気の向かう方向を定める概念があることです。

そもそも冬至はどんな日かっていうと?

です

もしかしたら、あんまり良くない事の様に感じられる事が起きている人も少なくないのかもしれないです。

そして、陰が極まるということは、言い方を変えると

ジャンプをする前に、膝を曲げてしゃがむ必要がありますよね?今あれです、あの状態。

だからしっかり力を溜めて踏ん張っておくと高くジャンプできるかも・・・・・

と言うことで、冬至の日は実は

なんです

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ここからタイトルと繋ぎます

身体を変える事を願いピラティスを行うんですけど

私が思うに、ピラティスを通して、感じる事が出来る身体になるから身体が変わる。っていう方が私はしっくりくるんです。

ピラティスってトレーニングではなくて「ボディーワーク」って言われるものなんです。

ヨガもそうです。呼吸法や精神を整える作用があります。これってなんか大それたもののようにどーしても感じちゃうんですけど、マインドフルネスとかっていう言葉とか。

ピラティスをやり出した頃は、私も何それ?って思っていました。

ボディーワークでピラティスを行うのとトレーニングとしてピラティスを行うのでは得られるものが全く違います

運動しているから一見同じに感じてしまうんですけどね

私はトレーニングとしてピラティスを行い指導していた時代もありました。もちろんその効果も素晴らしく魅力的ですが、私はボディーワークとしてピラティスを実践することの方に魅力を感じています

ボディーワークとしてピラティスを実践されてる方の特徴としては、実生活にピラティスが行動として影響してくることです

ウォーキングをしてみたくなったり、食生活に影響が出てきたり、姿勢のポジションを意識し出したりetc。これまで気付かなかったようなものが見えてきたり、感じてきたり

これらって、見る人によっちゃ「制限」

なんです。面白いことに

走らなくてはいけない。タンパク質を取らないといけない。これもあれもやらなくちゃいけない。もしくはこれもあれもやっちゃダメだ。あれが良くてあれが悪い。あれが正しくてあれが間違っている。

これって全部頭がやっている「判断」なんです

トレーニングはトレーナーの正しさの指示で行い、頭でやるもんだと私は思っています。(注意ですがトレーニングは素晴らしいもので悪いものじゃないです。)

一方、ボディワークはクライアントさんが自分の意識で身体で感じるもの。です

もっと言うと身体で感じるスキルを高めて自分の輪郭をハッキリ理解していく手法のようなものだと思います

あまり皆さん意識してないと思うんですが、私はレッスン中によく「今どこにどう感覚がありますか?」とか「どう感じていますか?」ってうのをお聞きすると思います。

この返答ってさまざまで、そしてこの返答こそが「あなた」を示します

これがどういうことかっていうのは長くなるので又別の時に。。。。。

ピラティスはトレーナーではなく、インストラクターの誘導により自分を見つめていきます

トレーナーの定義は、主にスポーツや体力作りを行う指導者です。一方インストラクターは技術や知識を伝える伝導員のようなニュアンスです。私は個人的にはガイドって名乗りたい。一緒にツアー回る一緒に楽しんで苦しんで喜びたいタイプ。余談 笑

英会話を習得する時って、自分から英語を学びにいきますよね。能動的。

一方トレーニングは学ぶというよりかは、トレーナーの指示のもとに「やる」って感じ。基本受け身。

ピラティスは確実に前者なんです。しかも何を学ぶかというと肉体を通して「自分」を学びます。

だって肉体は生活の全てこれまでの人生の全てが作り出した「結果」だから

殆どの人が五体満足で産まれて、でも年月を重ねるごとに痛む場所や病気、逆にそれとは無縁でどんどん輝く人という風に違っていきます

それって経験してきたことや普段の生活習慣の違いから生まれるものであって、根本的に何をどう変えていく必要があるのかを知るには結局のところ自分を知る以外に方法はないんですよね

だって、南君の恋人のように、胸ポケットにずっと私がいるわけでもなし、てかそんなん嫌やし。笑

頭で分析して解析する方法もあります。私はそれも必要だと思っています。頭も身体の一部だから。

でも、その頭で判断し分別する前にものすごく大事なのが、

良し悪しを「判断」することと、自分が心地よいか悪いかを「感じる」ことは全く別物で

ピラティスはまさに、この、自分自身で感じるってことの練習をしてるんです

殆どの方が、誰かや何かの良し悪しや、効率性、眼に見える結果、手に入る利益。それを念頭に教育されてきました。言っときますが、これも「教育」されてきたものです。自分が悪いとかっていうことじゃない。

例えば1例挙げるとするならば・・・・・

遺伝的な要素は少し省いたとして、身体が強張って固い人がいるとします。もう漢字のまんまです。強い状態で身も心も常に緊張状態です。職業柄だったり、いろんな要因はあります。問題はそれが当たり前になると、それが強張っていると感じられないことなんです。緩ませる方法を知らないし、見ようともしない。常に予定がいっぱいで、向上心に溢れている。そこに駆り立てる潜在的な思い込みが根付いている

こういう方は人生後半になるとどこかに痛みが出てきます。ジワジワと少しずつ我慢できる範囲で身体は訴えてるんだけど、そこ耐えれちゃう。そういう人です。

本当はその耐えれる痛みの段階で、真摯に自分と向き合えばいいんだけど、そもそも真摯に自分と向き合うってなに?って人だから、その意味がよくわかんないんです。

例えばお風呂に入って、一発目に「はぁぁぁぁぁぁ」っとなるあの感じ。喫茶店に入ってコーヒー飲んで、ホッとするあの感じ。コタツに入ってみかんを食べてテレビを見てるあの感じ。海をボーッと見て時間が経つあの感じ。あの感覚が極端に日常に少ない人は、感覚が遠くなっていきます

もう正に現代人って感じでしょ。スマホもあって情報がいっぱいで、やった方がいいこと、やらなくてはいけない事に溢れている。映えることに溢れている。

でもそこに自分という軸はない。軸がない旗がただ動いているだけ。空を飛んでいるだけ。いつ地上にぶっさすんですか?あなたの軸を。っていう感じ

自分がこうしたいああしたいああなりたいっていうその想いは情報から得た「判断」ではないですか?やった方がいいよね、とか、誰かの何かの為になるよね、とか。

本当にそれってあなたが望んでいること?

それが分かるのがズバリ!「身体の反応」なんです。

感動して心震える映画を見た時勝手に涙が流れますよね。あー私感動したから涙を流そう。なんて思って泣きませんよね。(でもこうやっって生きてる人が殆ど)

梅干しを想像したら勝手に唾液が出る。でもきっと昔ほどすぐに大量には出ないと思う40代50代。イメージが身体に反映させる能力って使ってないと本当に衰える。梅干し想像したからって唾液が出るわけないじゃんって頭ごなしに決めつけてイメージすらしない人は、反応すらしない

強い怒りや悲しみを感じた時、胸がモヤ〜ってしたり、身体が硬直したり、逆に力が入らなくなったり

子供を亡くしたお母さんが一晩で白髪になる事があるって、あれ全然不思議じゃないです。当然だと思う。

正直な「身体の感覚」として私達の身体は機能している素晴らしい受信機のようなもの

この受信機がフルに活用して働いてる状態が

ってことだと思います。運がいいとかついてるだとか。

人間が思う理由のない「なんとなく」っていう情報は、言語化できるどんな情報よりも確実で確かなものだと私は思っています。膨大な情報量の言語化できないものが「なんとなく」になってるだけで

よく刑事ドラマで「刑事の勘」って言って上層部と揉めるシーンあるけど、絶対勘あたる下りとか見ててもそれ表してますよね。笑

人の感覚っていうのは人の判断よりもかなり多くの情報を含んでいるんです

でもこれまでは、その感覚を重視して生きることは「わがまま」だったり「傲慢」だったり「自分勝手」だったりという判断にある時代でした。今それが少しずつ変わりつつありますよね。ジェンダーレスやフリースクールの多様化、そう言ったものも含まれると思います。

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これって言い換えると、自分の感覚を感じられて、自分の心地良さを優先できる生き方、自分に丁寧で誠実な生き方を行動できる人 ってことなんです。👏👏👏👏👏

冬至の今日2024年12月21日

誰の為でもなく、何かの為でもなく、自分のマイナスを埋める為ではなく、自分を喜ばせることだけに焦点を当てて、本当に自分が望むことはなんなのか。多分ですけどね、ほとんどの方が大した事じゃない事なんじゃないかなぁって❤️

こういう時大それた事じゃない方がおそらくリアルです

ただそれを、自分の喜びとして大したことじゃなく満喫できる自分かどうか、ってだけ

今日は、今年の1年の振り返りと来年のマインドセットにおすすめの日です🎵

どんな事があって悩んだっけ。どんなことがあって喜んだっけ。誰が印象に残ってる?なんの気付きがあった?何を楽しんだっけ?etc

できたこともできなかったことも失敗したことも成功したことも、否定や判断せず、ただ「観る」そして「受け入れて」感謝をし、必要のないものは優しく「流す」

これらをクリアリングした上で

2025年はどんな1年にしたいかな?

具体的に、マイナス3キロとかとかいう行動目標でも良いですし、どんなところに意識を向けてどういう気分で生きるのか?っていう心掛けの目標もすごく良いと思います

この、どこに意識を置いておくかはかなりパワフルで人生そのものを左右する力がある

ここを心の真ん中に掲げて生きることを実践したら

何年も惰性で同じパターンを繰り返してきた方でも

ということで、この冬至のタイミングで是非、自分の身体をアンテナにクリアリングをして、自分の願いを探ってみてください。心がときめいたりワクワクしたり逆にホッと感じるそれが、実は願いを叶える身体への第一歩です⭐️

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